長浜人形の歴史

土人形を歴史的に見ると、全国各地にそれぞれの土地に根差した形で作られていました。

縁起物、信仰、天神、雛、娘、童子、達磨、七福神、武者、花魁、干支などの生き物、踊りや歌舞伎、浄瑠璃、などの背差う風俗を反映した各地の土人形は、伏見人形が江戸時代に日本全国に広まった土人形文化の源流だったと言われています。

公家や大名向けに京都や江戸で作られた豪華な人形と違い、主に粘土を素材にした人形は材料の調達も容易で、各地で盛んに作られ庶民にもてはやされたと考えられます。


長浜人形の起源は、今より400年前の「征韓の役」に連れ帰った朝鮮人陶工 李陶仙、金陶仁の二人を永見氏隆が現在の長浜市美川で窯業を営ましたことが機縁となり、浜田市長浜で永見家の子孫が焼き物を営んだことから進展したようです。

まず、今から240年前の昭和年間頃に、城佐世楽焼風のものがすでに作られ始めたと言われています。

その後、永見房造が彫刻家 清水巌に学んで巌の字をもらい、永見巌と号しました。この永見巌によって、近世の形の長浜人形が作られ始めました。

永見家は浜田藩より「類職差止」をもらい、人形は陸路や海路を通じて各地へ送られて栄え、その技術は広島県の三好人形の始まりや、新潟県佐渡八幡人形にも影響を与えました。

現在も石川県や新潟県などの日本海沿岸各地に数多く残っています。

浜田市長浜人形は、その後人形を作り始めた木島家や峠崎石舟、肥後籐助、岩本竹山、日下義明等により盛んに作られ、技が継承され今日に至っています。

(以上、財団法人 石見足立美術館のホームページより引用)